2010年03月24日
日本語の起源
学生時代にはまった日本語の起源探しについてちょっとコラムに書いてみようと思います。
以前、英語圏の国に行ったとき、たまたま韓国の人に会いました。
韓国人が韓国語で話したのを友人が英語に翻訳し会話したのですが、
だんだん耳が慣れてくると、韓国語がなんとなくわかってきて、友人が通訳する前におおまかな意味が推測できることに驚きました。
韓国語と日本語はすごく似ています。
共通する単語が多くしかも文法は同じ。
何か意図的なものを感じます。
一方、同じアジアの言葉でも中国語は全然異質の言葉。
しかし、日本語、韓国語、中国語と並べてみると不思議なほど法則性があることに驚きます。
以前、学生時代、日本語の起源について興味を持ち、夢中になって調べたことがあります。
図書館で、いろいろな本を読んでみましたが、どれも煮え切らない説明ばかり。
日本語は日本列島に住む日本人が代々培ってきた言葉であり、親から子へと伝承されていく過程で表現豊かな言葉になっていった。
日本人という民族は血の連なりであり、その血の中に日本語がある。
そして日本語を遡れば、日本人の血のルーツが分かる。
おなじみの日本人の起源に連なっていきます。
私達が学校で教えられた歴史を読むと、
最初に日本語を話す日本民族なるものがいて、それが文明を受け入れ、だんだんと統一国家を形成し日本という国を作っていったことになっています。
それじゃ日本語を話す日本民族はどうやって出現したか?
となるわけですが、そのあたりの説明がない。
日本語の起源では、日本列島にさまざまな人たちが集まり、自分達の母語を少しずつまぜながら、日本語ができていったと言っている。
じゃあ誰が、使う単語やその文法を決めたの?
そんな疑問が起こりました。
住民が寄り添い徐々に大きな国家を生み出していく国造り物語はほほえましいお話です。
しかし、日本語の起源を調べてくと、いつも矛盾につきあたり、
さらに研究していくと、日本国や日本語が、とうていそんなほがらかな成り立ちでないことが見えてきました。
日本は華僑が作った国であり、日本史はもともと中国史の一部だったようです。
華僑がどうやってこの国を作ったかというと、原始生活を営む原住民を武力で制圧し、彼らの土地を奪い、奪った土地に農園(村落)を作らせ、彼らから地代を徴収する。
より多くの土地に農園をつくるため、本国から貧乏人を連れてきてその中に加える。
世界各地で行われた暴力ビジネスです。
ちなみに私達の先祖の大部分は、この時、中国大陸から連れてこられた貧乏人との話し。
その農園の華僑経営者同士が、時には争い、時には和解しながら集まって、大和政権になっていきます。
そして、この大和政権という華人の地方政権が中国大陸の華人政権から独立したのがちょうど聖徳太子の時代。
これをもって日本植民地の独立、日本史のはじまりとなります。
その時、適当にかつぎ上げられたのが天皇家であり、この当時ですら、どこの馬の骨だか分からない家系。
後に南北朝の騒乱で正統は滅び、さらにいいかげんな家柄となります。
天皇家は血筋はどうでもよく、存在自体が尊い家系です。
以上、日本史のおおまかなまとめ。
学校で習った歴史とは全然違うので驚きました。
そして日本語ですが、誰が作ったかというと、
平安時代に王さんという人がいて、彼が和歌を発明して日本人に教えたという記録があるそうです。
でも日本語は中国語とは全然違う言葉。
華僑の植民地なら当然、華僑の言葉が共通語になってもいいようなもの。
たとえ華僑が農園経営のため地元民の言葉を取り入れ共通語を作ったとしても、もっと中国語に近い言葉になるんじゃないかな?
そこにはミソがあり、日本語と韓国語はとてもよく似ている。
日本も韓国も、中国大陸に成立したある王朝に占領された歴史があり、
その王朝は大唐帝国。
唐はそもそもアルタイ系部族が中国の皇帝を簒奪して名乗った王朝であり、その言語はアルタイ系の言葉。
アルタイ系の言葉とはモンゴル語やトルコ語など、日本語や韓国語と同じ文法を持つ言語。
京都開府は天皇の偉業のように言われていますが、あれはウソで、大唐帝国が日本列島を占領した時、進駐してきた兵隊が農園経営者の華僑に命じてつくらせた植民都市。
進駐してきた兵隊が華僑に共通語を作らせ、その結果生まれたのが日本語ではないかと思います。
文法は支配者が持ち込んだアルタイ語の文法を使用し、単語はより豊かな言葉を作るため現地語と漢語を織り交ぜ、日本語を作っていったと思います。
なぜ日本語を作ったかといえば、彼らが日本民族を創出し、日本列島を皇帝の影響下から独立させるため。
また、中国語は目で文字を見て理解する言葉であり、耳で音を聞いて理解する言語を使う支配者にとっては非常に使いにくい言葉だったからではないかと思います。
日本語を作った華人は中国語の教養が深いわけであり、日本語を作るにあたり、中国語をアルタイ文法に置き換えたものをベースにしたと思います。
ちょうどレ点とかあり、横に助詞を記入した漢文がありますけど、
あれが日本語のはしりじゃないかなと思います。
次に、さまざまな言葉を集めその中から基本単語を抽出し語調を整え和語を創出し、中国語の単語を和語に置き換え、置き換えにくい言葉は漢語で残し日本語のリズムを五七五七七に整え、話しやすく聞きやすい言葉を作っていきます。
こうやってできたのが日本語であり、韓国語も同じような目的で同じように作られたんじゃないかと思います。
文字を見ないと理解が難しいという中国語の欠点を補うため、ベースが中国語、アルタイ文法にあてはめ、語句の置き換えと語調の整頓を行う。
そこに中国語、韓国語、日本語と意図的な法則性を感じます。
また韓国語と日本語が似ていることも、こういった背景があるからじゃないかと思います。
※ここでいう中国語は当時の共通語西北官話です。今の北京語とは違います。ただ、北京語はかなり改良された言葉ですが、北京語も中国語独特の欠点をひきずっているような気がします。
※原始の人々は数百人規模の小さな部族単位で単純な単語を言葉として使っており、部族間での単語の共通性はあまりなかったようです。彼らの言語には文法はなくただ必要な単語を発していただけと聞いたことがあります。
その後大唐帝国の内紛に伴い日本政権は自立し、日本民族ができるわけですが、
室町時代に再度皇帝の影響下に入り、戦国時代の混乱を経て、完全に独立するのは豊臣秀吉の日本国形成の時代。
ちょっと驚くかもしれませんが、日本では豊臣秀吉が天下統一をするまで、国内で流通する国内機関発行の貨幣がなかったそうです。
明のお金を使っていたということ。
経済は華僑に握られていたかもしれないですね。
なんかとりとめもなく書いてしまいましたが、まとめると、
言語は国家によって創られ、言語によって民族が生まれる。
国づくりとは、その言語を作ること。
本当の歴史を知ると、なんか世の中のさまざまなことを見る目が変わってきます。
日本、韓国、中国などなど。チベット、ウイグルなんかも。
民族や文化は大切なものだと思うけど。
結局は血によらず人為的に作られたものなんだね。
民族問題とか読むとその裏に隠された事情なんかも考えてしまいます。
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