2010年10月16日
ディベートで育つ頭の悪い子供
最近よく思うのだが、大人の社会では、何が真実か何が有効かではなく、相手を言いくるめることができるロジックが正しいとされる。
そのため、ちょっとキワもののブログなんかを読むと、コメント欄にずらっとブログ内容を揶揄するコメントが並び、ブログ主を困らせている。
相手のロジックが弱いと思えば容赦なく自分のロジックでケンカを売る。
相手をへこまかせることがあたかも正義かのように・・・。
俺にはなぜ他人の意見をそこまでしてへこまそうとするのか分からない。
他人の意見は他人の意見として聞き、納得がいくものなら取り入れ、納得がいかないものなら無視すればいい。
ケンカをふっかけて相手を黙らせないと気がすまないという態度にどうも違和感を覚える。
相手の意見を屁理屈で抑え込めば自分の意見が真実となる。
そんなわけないだろ。
この相手のロジックと自分のロジックを戦わせてより正しい結論に導こうとする手法をディベートと言う。
簡単に言えばディベートとは屁理屈で相手をへこまかす方法だ。
相手をへこまかすことができたほうが正しいとされる無茶苦茶な手法だ。
アメリカなんかじゃ、子供のころからこんな屁理屈の訓練をしており、日本でも屁理屈で相手をへこまかせる訓練(ディベート訓練)が必要だと言われる。
確かに大人になると分かるのだが
大人になって学ぶのは、知識ではなく、いかに自分のロジックで相手をへこまかせるかの技術。
そのロジックは世間一般で正しいとされるものであり、本当に正しいかどうかは分からない。
すでに学んだ(洗脳された)知識を屁理屈で正当化する。
そればかりだから、いくら違う意見に接しても勉強にならない。
どんどん頭は固くなり、ただ相手をへこまかすロジック(屁理屈)がうまくなるだけだ。
知識は増えないし、頭は少しもよくならない。
日本人はアメリカ崇拝だから、アメリカのやることならすべて素晴らしいと思う傾向がある。
しかし、アメリカ人を見れば、ただ屁理屈がうまく相手を言いくるめる技術に長けているだけで、ちっとも真実を考えようとする姿勢がない。
たいていのアメリカ人は日本人に比べ野蛮で文化程度も低い。
ああいう文化なのかもしれないけど、アメリカ人にとっては、勝てばなんでもありなんだろう。
アメリカ人が野蛮で文化程度が低いのにはさまざまな理由があるが、その一つにかの国がディベート重視ですべてをロジック(屁理屈)を用いての勝ち負けで判断するところにあると思う。
政治、裁判、個人間のいさかいなどなど。
こういう環境では何が正しいかより、相手をどうやってへこまかすかだけしか考えなくなる。
どうりでアメリカでは屁理屈ばかりで学問が発達しないわけだ。
その屁理屈にノーベル賞を与えるのは笑止だが・・・。
アメリカはドイツの科学技術を盗んで、科学技術大国を自認するようになった。アメリカではまともな科学が発達しなかったからだ。
俺はドイツって国はアメリカより偉大だと考えている。
ドイツはアメリカに比べはるかに文化程度が高い。
アメリカでは勝ち負けだけの屁理屈合戦(ディベート)が発達したが、ドイツでは、相手の意見を聞いて、議論を発展させていく弁証法が発達した。
だからアメリカでは科学が発達せず、ドイツで科学が発達した。
それをたかが戦争で勝ったからといって、ドイツの功績をすべて己のものにしてしまったアメリカって国のえげつなさにはあきれてしまう。
まさに屁理屈で勝ったようなものだ。
なんか話がとびまくったが、俺はディベートより弁証法のほうが必要だと思う。
いくら相手をへこまかすことができても、ちっとも頭は賢くならない。
相手の意見も聞き、立ち止まって考えることが大切ではないかと思う。
そもそもA論とB論と相反する2つの論がある場合、どちらも自分の論を正しいと考えているわけだから、どれだけ争っても平行線。
あとは屁理屈で言いくるめたほうが勝つだけ。
でもそれって禍根を残すだけで、ちっとも勉強になっていないんじゃないか?
以前、生物の登場について、創造論と進化論それぞれの本を買ってきて読もうとしたことがある。
しかし数ページ読んでみてアホらしくなった。
ただ自分の論が正しいという屁理屈が書かれているだけで、ちっとも知識が増えない。
創造論で考える人は創造論のロジックで考えるし
進化論で考える人は進化論のロジックで考える。
その2つはまったく違う視点から考えているのだから、どこまでいっても食い違って勝負にならない。
結局最後は何を信じるかの問題だ。
世の中、いろいろな考えを持つ人がいてもいいんじゃない。
真実は、屁理屈でへこまかした方にあるのではなく、
人それぞれが弁証法的発展によって(つまり日々の生活からの学習)によって導き出すもの。
すべての真実を知る人はいない。
世の中の害にならない限り、どんな真実を持とうが、それはそれでいいんじゃない?
なんか相手の意見をへこまかせ言いくるめようとばかりする風潮に嫌なものを感じる。
ディベートばかりしていると、ただズル賢くて屁理屈がうまいだけの頭の悪い子供になる。
他人との勝ち負けを競っても知識は増えない。
自分の頭を働かせることで知識が増えると思う。
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因みにディベートを正当化させるのは戦争を正当化させるようなものだと思ってます。まぁようは無意味なゲーム。
『学生時代からディベートの訓練を受けていないので一般の方には難しいことなのかなと』と、やたら俺はすごいんだぜ見たいな発言があったので、ぐぐって見たのですが、参考になりました。言うほどすごいことじゃないですね。アメリカの根幹をなしている教育というだけで、個人的には、他人の意見を受け入れないという時点でダメな教育だと思いました。