2010年10月22日
天然ボケを解明したブログ
ブログ“心に青雲”の最近の記事に“認識のDNA化”というものを見つけた。
6回にわたり連載しており、全部読むのに1時間もかかる大作だ。
ここまでボケの真実につっこんだ内容を俺は読んだことがない。
1度読んだだけでは飽き足らず2度までも読み返してしまった。
実に考えさせられる。
外界を拒絶し、内界に閉じこもりがちな人を外から見ればボケとなる。
自分のうっかりミスを治すため、とても参考になった。
抜粋を掲載し、最後にこのブログのリンクを張っておこうと思う。
・・・抜粋・・・
われら(空手)流派の指導はいかなるものだったかを、少し述べてみよう。
空手をやりたい、指導者になりたい、学者になりたいと言って、我が最高指導者の直弟子になろうとする若者が厳しい試験を通って、トップクラスのゼミに入ってくる。
その者たちは、幼少のころからの秀才であったり、そうでなかった者でも全員が受験勉強でしごかれてきていて、弁証法的なアタマには縁遠く、イキイキとした外界を反映を苦手としていて、内界を見てしまう悪い癖を持ったもの(DNA化したもの)である。
私の場合は指導者になりたいと入っていったが、まったく甘く考えていた。
ゼミや会議に参加したものの、はじめは「わけがわからない」というとウソにはなるが、指導者や先輩から叱られ怒鳴られてもみくちゃにされているような感じだった。認識では先生のおっしゃっていることは理解できるのに、脳細胞のDNAが理解を阻む。
怒られているときはなんとか反省しないとと思っているが、お叱りが終わってみると、さて何が悪かったか覚えていないがとにかく恐かった、という感情が残っている。そんなふうであった。
しかし今振り返ると、あの叱責される日々こそが、しっかりと「像」で外界を反映できるようになっていく自分を創ってくれたのだということが、私なりにわかっていく過程だったのだとも思う。
たとえば、ゼミ合宿では最高指導者に質問しろと言われる。
それで恐るおそる質問すればバカ、知識秀才、事実と解釈の違いがわかっていない、傲慢などと怒鳴られる。それで萎縮すると、またもや質問しろと言ったのにしない、何しに合宿に来たんだ、質問しないなら帰れ! と怒鳴られる。誰もがそういう洗礼を受ける。
最高指導者はいろいろと質問しなければならない理由を説いてくださる。
それで理屈はわかったつもりになるが、やはり質問ができない。
先輩でよく質問している方でもそのつど最高指導者の激怒を誘うのみ。
一流大学の秀才中の秀才がまるでネコがネズミをもてあそばれるみたいに、手玉にとられておろおろするさまを見ていると、よくノイローゼにならないものだと思ったほどである。
それを見るから、だれもがビビってしまう。
ビビるのはDNAがさせるのだが…。そこを自力で乗り越えられない人間は、あまりに厳しいといって去って行く。
去って行けば、慣れ親しんだ秀才の内界に収まるだけ。
しかし、なんでもいいから質問しろとは、認識を外にだせというご指導だった。
内にこもって、自分のなかで対話するな、と厳しく指導されたのだ。
なぜならばと、もう説くまでもないだろうが、それまでの自分の脳細胞が、受験勉強でしっかりと言葉で考えることやイキイキした外界を反映する立派なDNAになっていないから、それを変革しなければならなかったのである。
・・・抜粋終わり・・・
恐ろしいまでのスパルタ教育だ。
外界を反映させるため無理やりでも内界を出させる。
それが質問しろとなる。
心は外界に出さないと内界に閉じこもる。
それがいずれ外界を遮断しボケとなる。
そうならないよう外からその人の内界を引き出そうとしてやる。
内界を引き出し外界を反映させる。
その作業の繰り返しにより、内界に閉じこもり外界を遮断してしまうボケの状態を予防する。
なるほどこれは私生活にも応用できそうだ。
以下にこのブログの記事を紹介したい。
認識のDNA化1/6
認識のDNA化2/6
認識のDNA化3/6
認識のDNA化4/6
認識のDNA化5/6
認識のDNA化6/6
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