2010年06月15日
製薬会社の都合で作られる医学的発見
人体の不思議は解明されつつあると言われるが本当にそうなのか?
そもそも学者は純粋に人体を調べその仕組みを解明しようとしているのか?
私達は学者が発表したものを真実だと受け止め、心臓はこういった仕組みなのか?脳はこんなふうに機能しているのか?と疑いもなく信じている。
でも、最近、それらに関する番組を見、専門書を読み、どうも自分が生きてきて感じているそれらとは違うのではないかと思った。
私の頭が悪いのかもしれない。
でも、それらがすべて製薬会社や臓器移植業界などに都合よく解釈されていることに驚きを隠せない。
学者の研究費が製薬会社や臓器移植会社の懐から出ていることを考えると何か意図的なものを感じる。
今、教科書に載っている人体の仕組みは、製薬会社の都合で適当につくられたものであり、真実と一致するわけではない。
教科書に書かれたものを素直に信じることはできない。
人体の教科書が製薬会社の都合で書かれていると言うと、すぐに数字を出せとか、難しい専門用語を散りばめたデータで証明しろとかいう人がいる。
科学的に証明できなければただの思い込みだと主張する人たちだ。
しかし私は学者ではないので科学的に証明するつもりはない。
そもそもその証明とやらを理解するほどの知性を持ち合わせていない。
しかし、その証明とやらがどうやって作られるのかはよく知っている。
これはどんな学問においても同じなのだが、医療関連は人の命に関わるだけにもっともたちが悪い。
以前、大学の理系は実験ばかりで嫌になると聞いたことがある。
いろいろな実験をたくさん行いさまざまな新事実を研究しているのだろうと単純に考えていたが、事情はかなり違うようだ。
最初に教授が理論を構築し結果をあらかじめ予測する。
それを実験で証明しようとするのだが、なかなか教授の理論どおりにはならない。
そこで何十回も何百回も実験を繰り返し、教授の理論に近いデータが得られたときだけ記録し、教授の理論は正しいと数値と専門用語を散りばめた論文を発表するそうだ。
なぜ学者はそんなことをするのか?
新薬開発を例に考えてみれば分かりやすい。
医者の薬は基本的に鉱物資源の残りかす。
それらの毒性を利用して病気治癒に役立てるものが多い。
特に石油から作られる薬も多く、石油会社と製薬会社は切っても切れない関係にある。
まず最初に石油会社から製薬会社へ話がもちこまれる。
石油精製の過程で×○という物質が出る。×○は毒性が強くそれだけでは何の役にも立たないが、化学反応させ××にすると毒性が弱まり抗がん剤に使えそうだ。
×○を100g○○ドルで買って欲しい。
石油会社の廃材活用の依頼を受けた製薬会社が××から新薬を開発することになる。
××では毒性が強く生命体を殺してしまう。
それなら薄めて使えばよいということになり、いくら薄めて使えばもっとも有効な結果を得られるかということになる。
そこでこの研究を学者にふる。
学者は製薬会社の儲けを損なわないよう気を使いながら製薬会社の利益に最もかなった用法を打ち立てる。
生かさず殺さずその薬を常用してくれれば、製薬会社の儲けが一番大きくなる。
そこで死なない程度、長く服用できるような用法を開発するわけだ。
そしてその薬の安全性と効用を証明するため、さまざまな理論を編み出し、それを証明するデータだけを集める。
製薬会社の利益を最大化する結果があり、それを証明するために科学の真実が作られる。
科学の真実があり、それに沿って薬品が開発されるわけではないのだ。
本当のことを言えば、本来毒である薬が安全なはずはなく、その効果もあやしいものだ。
気にされるのは
飲んだら死んでしまうような猛毒ではないこと。
病気の発現を抑えるような機能があること。
徐々に命を奪い1年から2年で死に至らせるのは問題ない。
一時的でも痛みが軽減したり、がん細胞が縮小すれば、患者が3年後生存していなくても問題はない。
どうせ死病なのだから死んでもともと、助かればもうけもの。
患者が薬の毒性に耐え切れるうちに、薬の毒性で病気が死に、病気が治癒すれば助かるが、そうでなければ病気に殺される前に薬で殺される。
たとえ体を破壊することによりがん細胞を抑えても、がん細胞が抑えられたことだけが取り上げられる。
本当はただ細胞を殺す薬で、正常な細胞もがん細胞も一緒くたに殺したにすぎないのに・・・。
そんなことが頻繁に起こりうる。
薬は徐々に人体を蝕み、命と引き換えに病原体を破壊する。
その間、患者は毒を飲まされた生き物のようにもだえ苦しむが、それは病気のせいとされてしまう。
医療費だけ受け取り、死んだら病気のせい、助かったら薬のおかげ。
製薬会社は儲かるし、医者は結果がどうなろうと困らない。
合法殺人ビジネスとすら思える。
学者の仕事は真実の探求ではなく企業利益の最大化であり、
だから彼らは企業から研究費の名目で高い給与をもらうことができる。
学者が製薬会社の利益最大化を計って編み出した理論を科学の真実として教科書に載せ、医者は一生懸命それを勉強し患者にのぞむわけである。
その時点で根本的なものが間違っている。
患者の命第一ではなく、製薬会社の儲け第一で理論が作られているからだ。
しかし、それを考える医者は非常に少ない。
教科書に書かれていることを真実だと疑いなく信じ、本当は製薬会社の儲けを最大にする方法なのにそれが患者の幸せを増大する方法だと考えている。
結局、それが医者の資格試験に出されるわけだから、それを信じなければ医師免許すら得られない。
医者になるためには製薬会社を儲けさせる思想に洗脳されなければならないこととなる。
医者の教育を狂育と呼んだ人がいるが、本当、狂育かもしれない。
ここに、医者は一生懸命患者を救おうと思えば思うほど製薬会社の儲けに貢献するという不思議なことが起こる。
誰もが学者は真実を探求することが仕事であると考えている。
でも、彼らの世界はそうなっていない。
世間で常識と言われることや、科学的と言われることの果たしてどれだけが真実なのか?
多くの学者が研究するため、間違いは絶えず修正され、いずれ真実が現れる。
だから科学は正しいと考える人は多いだろう。
でも、多くの学者が同じような目的のため研究しているとしたら、同じような結論を作りはしないか?
一部、異端的な考えがあっても、それはトンデモ話や迷信として処理され表に出てこない。
多数の意見が正しいとは限らないが、多数の意見が正しいとされる。
学者の多数は企業の準従業員であることを忘れてはならない。
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